特定非営利活動法人 スーダン障害者教育支援の会

Committee for Assisting and Promoting Education of the Disabled in Sudan (CAPEDS)

日本語 TOP     English      

<スーダンの概況>


1.スーダンとは
 スーダンは、北アフリカに位置するアフリカ最大の国です。1956年に独立するまで、イギリス・エジプト共同統治の名の下にイギリスの植民地でした。スーダンの面積はおよそ日本の6.6倍にあたる250万平方キロあります。エジプト、ケニア、ウガンダなど9カ国と国境を接し、北東部は狭い範囲で紅海(red sea)に面しています。
スーダンの人口は約4千万人で、国民の40%はアラブ系、31%はアフリカ系で、その他200以上の民族が存在します。主要な宗教は、北部ではイスラム教、南部では伝統的なアミニズムとキリスト教が混在しています。
スーダンの気候は、北部が乾燥した砂漠気候、中部がサバナ気候、南部は高温多湿な熱帯雨林と、変化に富んでいます。通貨はスーダン・ポンドで、1スーダンポンドは約45円です。一人当たりの国民総所得は、US 640ドル(2005年)です。
 主要都市は、首都ハルツーム、第2の都市ワドマダニー、港湾都市ポールトスダンなどがあります。首都のハルツームでは、白ナイル川と青ナイル川が交差しています。1本となったナイル川がサハラ砂漠へと続くこの地形は、ぞうの鼻を連想させることから、ハルツーム(アラビア語でぞうの鼻)という地名が生まれました。また、あの有名なサハラ砂漠の「サハラ」は、アラビア語で砂漠を意味し、サハラ砂漠はまさに砂漠の中の砂漠なのです。
スーダンでは、変化に富んだ気候、そしてナイルから齎される水資源により、多種多様な作物が栽培されています。現に、農業はスーダンの主な産業となっています。また、石油や金、鉄鋼などの天然資源も豊富です。さらに、エジプト文明の影響を受けたピラミッドやヌビア王国のパトラの神殿跡など、観光資源にも恵まれていると言えます。
 しかし、1956年の独立後、スーダンは数々の内戦を経験し、2度に渡ってクーデターが起こるなど、政治情勢は不安定です。2005年に包括和平合意がなされた南部のアフリカ系武装組織との闘争では、20年以上にわたる内戦で150万人以上の犠牲が出ました。また、近年は西部のダルフール地方において、アフリカ系住民とアラブ系民兵の衝突で、重大な人道危機が発生しています。このような政治情勢に加え、1996年から2001年までの国連対スーダン経済制裁の影響によって、豊富な資源があるにも関わらずスーダン政府の財政は逼迫しています。

2.スーダンの障害者
 国連の統計によると、スーダンの障害者は200万人以上と見積もられています。しかし、正確な調査が行われていないのが現状だと言えるでしょう。1993年に国勢調査が行われ、スーダンの障害者数は30万人と発表されましたが、内戦下にあった南部10州が調査の対象外であったこと、また調査項目も徹底していなかったことなどを考えると、実際の障害者数は統計よりも相当多いと推測されます。
 しかし、長年の内戦により、政府は教育、特に障害児教育には十分な予算を割いてきませんでした。視覚障害者の教育をみると、スーダンの盲学校は首都のハルツームに1校あるのみです。教育相はインクルーシブ教育の理念の下に、障害児を通常の学校に通わせる方針をとっていますが、実際は適切な支援のないインテグレーション教育になっています。また、社会の障害者に対する理解の不足によって、通常の学校の入学を断られ、教育を受けられない障害児は少なくありません。
 首都のハルツーム州では、州内に7校の中核支援学校を設置し、近隣の視覚障害児に、3年間の点字教育を行う取り組みを始めています。期間終了後、子供たちは地元の学校に編入しますが、その後彼らが点字を活用するための環境や資源は整えられていないため、十分な効果をあげているとは言えません。したがって、教育を受けられる視覚障害児は、家族や友人の助けを得て、本を読んでもらったり、カセットに録音するなどの方法をとって学んでいます。
実際に点字を使用する視覚障害者は限られており、特別枠で大学に入学できても、点字という文字を持たないことにより、理系分野で学ぶ視覚障害者は皆無です。また、大学を卒業しても就労先がほとんどないといった問題もあるため、障害者の社会参加の実現には、教育・就労の面において早急な支援が求められています。